くどこのかわりたい

知識·経験ゼロから世界一のバリスタになるまでの記録

若きウェルテルの悩み ~There will be no end to our troubles~ by Kudoo

ブログの趣旨とは異なりますが、雑記を。

著名な俳優さんが亡くなりました。報道によると、自殺の可能性が高いようです。普段、芸能ニュースに特段関心がない僕でも、今回は何故か心がざわつきました。

 

彼の作品も碌に知らないし、日常的に彼のことを考えることもありません。勿論、お会いしたこともない。強いて言うなら、10年以上前から存じ上げていて、比較的年齢が近いくらい。本当にそれくらい、自分とは何もかもが違う、華やかなショービジネスの世界でご活躍されている遠い存在です。

 

それでも、今回この悲報に心が支配されるのを感じました。昨夜、なかなか眠りにつけず、関連する報道を貪るように夜通し読み漁りました。

 

類まれなる容姿、尊敬される人格、多方面にわたる人脈、努力に裏打ちされた仕事で結果を出す才能、俳優として積み上げた名声と途切れのないスケジュール。順風満帆に思えるキャリアを前に、皆口々に何故彼が?と疑問を呈しています。

 

無論、答えはどこにもありません。誰もが羨む要素を彼は兼ね備えているようにみえますが、人の価値観で生きても幸せにはなりません。人の期待を満たすために生まれてきた人間はいないのです。月並みですが。


誰かの幸せを定義できる人間はいないのです。誰もが主観の世界に生きている以上、たとえ同じ目線に合わせてみても、自分と全く同じ景色を見ている人はいません。


僕自身は”生かされている”という価値観を現状は大切にしたいので、自分の人生においては自死を選択することはないでしょう。ただ、心が弱っているときは、普段では想像できないほどの視野狭窄に陥るものです。

 

心の隙間を完全に塞ぐことは困難ですが、せめて隙間が開いたときに問題を明日に先送りにする最後の余裕だけは持ち合わせたいものです。

 

消えてしまいたいという日々が続いたとしても、人生全体で見れば、その時間は衝動と呼ばれるほどの瞬きに収れんされていくと、僕は信じています。

 

人生にもしもはありませんが、仮に今回の自殺が未遂に終わったとして、人生の続きで”生きていてよかった”と思える瞬間が彼にも訪れたはずだと、信じてやみません。
それが明日なのか、1年後なのか、生物としての寿命を全うする最期の瞬間なのか、はたまた自殺を企図した当日なのか。
皆目見当がつきません。

 

でも、分からなくていいのです。その瞬間がいつ訪れるのか分からないからこそ、多くの人が”生きてさえいてくれれば”というメッセージを彼に送るのでしょう。


死にたいという欲求を満たしたという点においては、彼の願いは成就したといえます。
但し、現世に生きる多くの方が”これからの可能性”を重視する以上、その成功が理解される機会は多くありません。

 

自分に与えられた残りの時間をどのように使うか、問われているような感覚を覚えます。

 

ということで、くどこさん。そろそろブログを再開しませんかね?