くどこのかわりたい

知識·経験ゼロから世界一のバリスタになるまでの記録

ぼくらが旅に出る理由 -那覇へ行くつもりじゃなかった- ~We Didn't Mean to Go to Naha~ by Kudoo

明けましておめでとうございます(今更)。
2020年の残り11ヵ月も、くどこさんとこのブログについて、引き続き応援いただければ、これ幸いでございます。


オーストラリアでは記録的な山火事が続いています。早期の収束と平静の訪れを、ここ東京から願ってやみません。自分に出来ることから始めよう!ということで、コアラのマーチをむさぼっています。ロッテさん、募金していますよね?

 

「めし、ふろ、ねる」を「ひと、ほん、たび」に代えると?

今年、とある新聞でライフネット生命創業者のひとりである出口さんのインタビューに目が留まりました。現在はAPUの学長さんですね。閉塞感が強まる日本経済をどのように打開するか?みたいな趣旨のインタビューだったと記憶しています。そこで、冒頭の一節が。仕事から帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝るだけ。このような生活を繰り返していては世界と戦えない。両耳があいてててて…。

 

であれば、どうするか。そう、様々な人に会って、多種多様な本を読んで、旅に出ろ、という訳です。それが自身の価値観を豊かなものとし、将来の選択肢を広げることに繋がると。マルコ・ポーロもびっくり、見聞を広げろ!ということですね。これは正しく「時間の使い方を変える」ということに他なりません。

 

そして時間の使い方を変えることで、結果的に付き合う人や住む場所も変わっていく筈です。当ブログの熱烈なご愛読者である皆さまからすれば、聞き覚えがあるのではないでしょうか。僕の最初の記事でも紹介しましたが、自己変革に必要な行動は以下の3つしかありません。

・時間配分を変えること
・住む場所を変えること
・付き合う人を変えることである

 

行動の変革を伴わなければ、いくら決意を新たにしたところで自分を変えることは出来ないんですって。大前さんの思考は本当に鋭いですね。

 

斎藤寝具店でもいい

「人、本、それに旅」
今年一番の衝撃でしたね。その中でも、僕にとって旅は最も関心が低いもの。やまだかつてない首相風に言うと、旅をしてはいるが旅行はしていない、とでも言いましょうか。だからこそ、旅の効用を感じたのです。旅に出れば、時間配分は勿論、付き合う人も自分の居る場所も強制的に変わる。

 

「旅行に興味がない」という価値観を目的論的に解釈すると、自身に変わる勇気がなかった、新たな価値観を受け入れる度量がなかったと言えるのかもしれません。人間、知らないものには興味を持ちようがない。だから、知識を得て、様々な物事に興味関心を持つことは大切ですね。

 

そういう意味では、旅って兎にも角にも遠出するとか、荘厳な世界遺産を背景に両手広げた写真をSNSにアップするとか、著名な観光地のスタンプラリーだとか、そういうことだけでもないと思うんです。自分にとって新たな価値観に触れる努力をしたか、そしてそれを受け入れようと努めたか、これに尽きる気がします。

 

旅と旅行の相違点なんて論じてみたって仕方がないです、セクシーじゃないです。旅は本来もっと自由なものだ!という思いを胸に、小さくまとまった自分の日常をぶち壊していく所存でございます。その手段のひとつとして、日常の中の旅が存在するのです。

 

痛快!国際通り

そんなこんなで、期せずして、冬の沖縄に行ってきました。「ナンバガのライブが観たい」そんな友人の願いを叶えるため、マフラー巻いて羽田に行って。那覇に着いたら、マフラーぶん投げて。30代にして初めての沖縄で、恥ずかしながらも国際通りを行ったり来たり…。
はい、もういいですね。流石に王子様ネタは食傷気味ですね。ということで、全くもって自発的行動ではありませんが、道中幾つかの発見を自分の中に取り込みました。

 

例えば、気温。真冬でも20度以上ある那覇に敬礼。空港着いたら冷房の洗礼。Tシャツ以外に服なんて要らねえ。景観の保護が行き届いてる、条例。ビールはやっぱりオリオン!恒例。あれは発泡酒なんだって、淡麗♪

 

無駄に韻を踏んでみました。後半は気温も何も関係なくなっちゃいましたね。因みに、多分Dragon Ash世代です。漢文は苦手でした。本題に戻りますと、日本列島は縦にびよーんなんだということを、文字通り肌で知るのです。知識として持っていることと、自身で体験してみることの隔たりを痛感しました。小4の夏休みの絵日記みたいな着眼点ですね。

 

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旅に出ませう

 

何故勉強し続けるのか

少年老い易く学成り難し、人生は一生勉強です。では、何故勉強するのか。もとい、勉強し続けるのか。自分のルールをより洗練させるためである、と僕は考えています。

 

突然ですが、皆さんには自分ルールがありませんか?例えば、嘘は絶対吐かないとか、人との別れ際は必ず笑顔でとか、生き方や座右の銘に近いものから、お風呂では洗顔から始めるとか、5分前行動を徹底するとか、癖やライフハックに近いものまで。

 

考えてみれば、日常は自分ルールで溢れています。で、しばしばその自分ルールが絶対的な正解と思い込みがちです。何となくみんなと共有しているだろう、それが常識だろうと慢心しがちです。

 

相手のルールが正しいとか間違いとか判断し始めて、自身の正当性を主張するために力や人を利用し始めたら、それはそれは物悲しいものです。所詮は価値観ですから、絶対的な正解なんてある筈もないのに。

 

だから、相手の価値観を一旦は受け入れる他ありません。間違っても、一つの価値観を共有出来る筈、なんて思ってはいけませんね。その考え自体が傲慢ですし、実現することがないため疲弊します。

 

洗練されていない自分のルールは独善じゃ

一方で、相手との融合を目指さなくとも、自身のルールブックの”改訂”は必要です。洗練されていない自分のルールは独善であり、傲慢であり、単なる縛りです。価値観が狭いと、相手の自分ルールを受け入れられず、人間的な成長が止まってしまうように思います。

 

もっと単純なところでは、自分のルールに執着すると兎角生き辛い。僕自身が生き辛ニンゲン(人間ってカタカナ表記にすると、途端に野菜っぽくなるって知っていましたか?)なんで、執着しないように日々気を付けています。

 

執着を捨てるには、様々な価値観に触れることが肝要です。その手段が「ひと、ほん、たび」なんでしょう。そして、自分も他人も常に変化しています。永久不変ではありません。

冒頭の新聞記事を読んで、僕の中でひとつ繋がりました。

 


___translation___
Hey, guys. Kudoo

Today,I'll think about going on a journey.In order to make life more prosperous, it is good to go on a journey.

Enjoy your journey!